ガスセンサ開発のきっかけ
当社のガス警報器、ガス検知器のコアとなる「ガスセンサ」ですが、実は1960年の新コスモス電機設立当時は全く違う事業を行なっていました。
そこから、ガスセンサを開発することになったきっかけには、社内で語り継がれるちょっとしたドラマがあります。
今回はそのエピソードをご紹介します。
可変抵抗器メーカーとして誕生
以前以下の記事でもご紹介したように、新コスモス電機は設立前に2度の倒産を経験しています。
前身会社となる福島電機製作所、大阪コスモス電機が主力事業としていたテレビやラジオのボリューム操作等をするための「可変抵抗器」を製造する会社として新コスモス電機は誕生しました。
倒産からの建て直しであったため、苦しい環境下ではありましたが徐々に可変抵抗器メーカーとしての信頼を回復しつつある頃。もっと良いものを生み出そうと材料から見直し高性能を実現した自信作の可変抵抗器の新商品を開発しました。試作や製品見本も完成し、あとは出荷を待つだけという時…トラブルが発生しました。
出荷直前の抜き取り検査で、本来ならば1KΩであるべき抵抗値が50KΩというとんでもない数字を示しました。「これではとても商品にならない」「自信作だったのに…」と関係者一同は落ち込みました。
「創造力」と「執念」が生んだ結果
そのような中、創業者である笠原はすぐに原因究明に着手。すると、ボリュームのシャフト部分に滑りをよくするために塗っていたグリースがはみ出ていて汚らしいという理由で、出荷段階ではみ出た部分を有機溶剤のトルエンで拭きとっていたことがわかりました。そのトルエンが気化した蒸気で抵抗値を狂わせていたのでした。
そこで、笠原は「トルエンの蒸気(ガス)が抵抗体に吸着したことで抵抗値を高めたということは、ひょっとするとガスに対して敏感に反応する抵抗体が作れるのではないか」と考えました。
そこから当社の現在のコア技術となる「ガスセンサ」の研究・開発が始まったのです。
この後、ガス警報器やガス検知器に実際に使用できるガスセンサが生まれるまでも苦難の連続でしたが、失敗を単なる失敗で終わらせない「創造力」、そして決して諦めない「執念」があったからこそ、当社は今世界最大級のガスセンサ研究開発設備を持つガス警報器メーカーとして存在できているのだと思います。
この精神も当社の企業理念に掲げられており、現在の会社や従業員に脈々と引き継がれています。